2009年5月15日 (金)

「おくりびと」と父の死

Okuribito  平成20年10月26日、日曜日の朝、父が亡くなった。

 死亡診断書には、
ア) 直接死因と発症から死亡までの期間
イ) ア)の原因と発症から死亡までの期間
ウ) イ)の原因と発症から死亡までの期間

が書かれており、父の場合は

ア) 多臓器不全 7日間
イ) 全身多発転移 8か月
ウ) 悪性黒色腫 9年間
となっている。

 元々の病気が発症してから10年近くになる。皮膚がんとしては珍しい種類で、主治医からは短命の場合が多いと聞かされていたが、父は主治医も驚くほどこの病気と付き合ってきた。余命3か月、といわれても2年以上元気に過ごしてきた。本当に悪くなってからはあっけなかった。周囲からも「あんなに元気そうだったのに」とたくさんのお悔やみをいただいた。

 死ぬと言うことは辛い別れであるけれども、私としては肉体が病に耐えかねたのだと思うと、父はさぞかし楽になっただろうなという気もするし、亡くなる前からはやく楽になってもらいたい、とも思っていた。

 亡くなる前日だったか、主治医が家族を集めて、更に状態が悪化したときに人工呼吸器をつけるかどうか、確認した。それまでにも一度、聞かれていたが、その時母は「できる限りのことをしてもらいたい」と伝えている。

 しかし2度目に聞かれたときには、主治医は、人工呼吸器を付けると本人にとって負担が大きいこと(もっとも、麻酔やモルヒネである程度痛みは緩和されているが)、今際で父が何か伝えようと思ったとしても家族とコミュニケーションができないこと、付けたとしても長く持たないであろうことなどを説明し、結局は、結論が出せないという母と妹を説得するような形で、私が「つけなくてもよい」という答えを出してしまったのだった。

 それが父の望む最期だったのかどうかはわからないし、今でもそれでよかったのかなあ、と悔やむことがある。

 しかし父は、多くの親族に見守られて、眠るように息を引き取り、亡くなった後も病院のスタッフに丁重に支度をしていただいた。

 また、それまでいくら入退院を繰り返していても、いつもできるだけ外泊を希望する父が、自身の誕生日である8月29日に最後の入院をした後は「帰ってもこの身体では何もできないから、しっかりと良くなるまでは外泊しない」と初めて自ら外泊を拒否し続け、とうとう一度も自宅に帰らず亡くなったこともあり、日曜日に亡くなってから水曜日に火葬し葬儀をするまで自宅でゆっくりと過ごしてから旅立っていった。

 残ったものの勝手な解釈かも知れないが、羨ましいくらい幸せな門出であった。

 そんな経験をごく最近していただけに、「おくりびと」も娯楽映画ではなくドキュメンタリーのような感じさえした。職業差別や、つらい仕事についている人自身の苦悩も、父の死後に感じたものと重なって見えたものが多くあった。

 それから、「死は門」という名言と、死者の旅立ちを見送るという儀式の意味、大切さ、ありがたさ。肉体も魂も重んじる日本人にとっては深く感じ入るドラマであろうが、これがアカデミー賞の外国語映画賞を受賞し、多くの外国人にも感銘を与えたとは、やや驚きでもある。

 主演の本木雅弘は、好きでも嫌いでもないが、納棺師という特殊な仕事を始めてからの戸惑いや成長ぶりを上手く演じているようである。彼の執り行う納棺の儀は、それなりに美しく丁重ではあるが、何と言っても助演(社長役)の山崎努の技は圧巻であった。ドラマにあるように、儀式の後、遺族が「ありがたい」という気持ちを持つのもごく自然な流れだと思う。

 個人的に好きなのは、やはり笹野高史である。本木が通う銭湯でいつも一緒になる笹野。単なる脇役かと思っていたら、すごく重要な伏線を持っていて、それが明らかになったとき、「うおおおおお」と叫ぶくらい感動して、泣いた。

 いや、始めからほぼ涙を流しながら見てたかな。

 まあ、いろいろと、オーバーラップしたのだよ。追体験って、辛いことでもあるけど、涙を流すことで少しずつ、癒されていくような気がするなあ。

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